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● 御器所-地名の由来-

● 御器所-地名の由来-

愛知県、名古屋市にある「御器所」に八幡湯はあります。この地域について、レポーターや江戸時代の地図を作成して地元の人たちに共有してきた父。地名の読み方について、諸説あるよとの話を聞いたので改めて調べてみました。 Continue reading

●福沢諭吉と銭湯

●福沢諭吉と銭湯

明治5年から9年までの間に17冊を刊行したという有名な著書「学問のすすめ」の第一巻の冒頭に書かれた名言。 天は人の上に人を造らず、 人の下に人を創らず 慶應義塾の創設者として、また、日本に住んでいる人なら誰しも1万円札紙幣に絵が描かれた福沢諭吉の顔はよく知ったところだろう。しかし、その人が明治の初期に自ら三田通りで銭湯を経営されていた事はあまりり知られていない。 以前から三田にあった湯屋を譲り受けるかたちでオーナーとなった福沢先生の風呂屋には、近所に住む人はもちろん、慶応義塾の寄宿制、三田付近に住む下宿生をはじめ、さまざまな人が五里の湯銭を払って利用していたと言われている。そんな明治が始まったばかりの頃、銭湯の入浴/経営の経験から、人々に自由平等を説明するために『私権論』という本に次のような一説が書かれている。 銭湯に入る者は、氏族であろうが、平民であろうが、みんな等しく湯銭を払い、身辺に一物なく丸裸である。また同じ湯槽に入っているではないか。それなのに、どうしてか、平民は氏族の人に旦那、旦那と尊敬してよび、氏族は平民の人たちを貴様、貴様と軽蔑しても、平民はただただ恐縮しているのはなぜか。銭湯の入浴には、なんら上下の区別鳴く平等であり、かってにはいっても、出ても自由である。 また、ある日、松永という学生が福沢先生に卒業後の進路について相談したところ、先生はすぐさま「銭湯の経営をするがよい」と言われたそうだ。この学生は後に電力王といわれるほど、日本の電力開発にとっても貢献した松永安左エ門(まつなが やすざえもん)さん。今日の公衆浴場でもっとも高い経費の電気代(照明、給水、濾過装置、泡風呂などなど…)の事を考えると、間接的ではあるが結果的には日本の銭湯経営に関わったとも言えなくはない。 この事を知ってか、知らずか、八幡湯はとってもリベラルな風呂屋です。「うちの実家風呂屋なんだ!」と言うと、日本以外の国で生まれた銭湯に行った事がない方からは「外国人でも入れる?」と聞かれます。同世代の知り合いからは「タトゥーがあっても入れるの?」と聞かれます。(他所の銭湯はしりませんが)御器所の八幡湯では入れます!!「自由平等」をはき違えない道徳心のある方なら、どなたでもウエルカムな風呂屋です!なぜなら、そんな「自由平等」空間こそが先祖代々受け継がれてきている大切な日本の風呂屋の文化なんです。そんな日本の良い所が21世紀も受け継がれて行く事を切に願っています。 これらの事が書かれている著書『公衆浴場史』はこの他にも本当に面白い事がたくさん書かれているので、また折りを見てご紹介出来ればと思います 🙂

●誰もが裸になれる場所 – A place where you can free youself

●誰もが裸になれる場所 – A place where you can free youself

「おばあちゃんも、赤ちゃんも、警察の人も、ヤクザの人も、看護婦さんも、お医者さんも、先生も、学生さんも、社長さんも、下働きの人たちも、みーんなお風呂のなかでは、制服やバッチを外して裸でお風呂にはいるでしょ?お風呂はどんな人でも一人の「人」になって、ゆっくりできる場所なんだよ」 Continue reading