● 1987年元旦 手ぬぐい第一弾(江戸時代地図 編)

民話「雷とふんどし」とその手ぬぐいについて、これまでに何度か投稿してきました。
「雷とふんどし」現代標準語-version/
雷坊やのカアミイ君 – Carmie, the thunder boy
父娘リレー – Father-Daughter-Relay

そして、その前作となる「御器所(ごきそ)界隈の地図をデザインした手ぬぐい」について、今から36年前の中日新聞記事がこちらです。

手ぬぐいそのものは保管用に1,2枚残っているだけなのですが、「御器所」の歴史を記録して、読んでくださる方の記憶に残れば… との私の勝手な思いから、1987年に40歳の父が作成した江戸時代の地図を40歳になった娘がデータ化してみました。神社、仏閣などをはじめ、現存する地名も数多くあり、興味深いものです。中でも、「御器所西城」と「中納言屋敷」はちょっとした歴史ある場所なのですが… ピンときた方は御器所ツウですね!よかったら地図の中で探してみてください。(下の地図は現在の地名を青字で大まかに重ねたものです)(^^)/

正月三が日、入浴客にサービスで配ったところ、大好評。現在でも「手ぬぐいをもらえませんか」「売ってくれませんか」と訪れる人が多い。このため、今日三日の当日に限り、営業開始の午後三時から、先着百人の入浴客に、この手ぬぐいを無料配布することになった。

ー 中日新聞 1987年

御器所西城(ごきそ にしじょう):佐久間氏中興の祖、嘉吉年間(1441~1444)に築かれたとされている戦国時代以前のお城。家勝から数代後の佐久間盛次は織田信長に仕え、柴田勝家の妹を妻とした。この2人の間に生まれた佐久間盛政は、柴田勝家の与力として越前(北陸地方)に移ったため、廃城になったと考えられている。城址は現在、尾陽神社となっており、周囲に土塁、北面には空掘が残されている。夏には盆踊りが開催されるなど、地元の人たちの憩いの場でもある。

中納言屋敷 (ちゅうなごんやしき)伝豊臣秀吉母宅跡。豊臣秀吉の母・大政所(なか)が生まれたといわれる場所。江戸時代後期の天保年間(1830~1844)に尾張藩がまとめた【尾張志】には、『この御器所村の古老伝説に太閤秀吉の母堂は、この御器所屋敷に住んで秀吉を産み、そこで御所屋敷という様になった』と書かれている。現在は、住宅地の中のひっそりとした空き地となっており、石碑と名古屋市教育委員会の案内看板、そしてお社が建っている。

ぜひお近くにお越しの際は足を運んでみてください☺

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